"隣の席"についての所信
最近、己の寂しさに気づいてしまった。今まであまり寂しさを感じなかったのは、それに気づいていなかっただけなのかもしれない。
中高の間は学校に自分の机があり、机の横のフックに荷物をかけたり、イスに座布団をつけたりして、本人がそこにいなくてもその人を感じる何かとなる。
これはあまり意識されないことかと思われるが、そこは学校で己が一番長い時間を過ごすスペースだ。学校で一番長く時を過ごしたのは?と言われたら部室などを思い浮かべてしまうが、実際は教室内が一番長かったはずだ。(恐らく)
そう、家にも学校にも、物理的に「己のスペース」があったのだ。これは多くの人に当てはまるはずだ。
そして、長い学校史において、"隣の席"から始まった友情や恋は数えきれないのではないだろうか。という持論をもつほどに、私は"隣の席"というものを神聖視している。しかしこれも、やはり青春時代にのみ許された甘美な制度か…アーメン……とここまで考えて、私は思った。
『たいていの会社や事務所でも、己のデスクがあるのでは!?!?』
だだん!
だん!!
ほれ!!!
……そう。"隣の席"システムは、社会人になれば復活する可能性がかなり高いのだ!!!
キャリア設計の条件に、「隣の席があるもの」という項目を加えることにしよう。
……大学生とは寂しいものよ。神よ、我に"隣の席"を与え給え。